「教会月報 令和7年12月号」から
難儀とおかげの狭間で
令和7年が、終わろうとしている。
新年に向けての会合が立て込んでいる中のある日の午後、私は、その一つに出席すべく、阪神電車の高架橋に沿った道を歩いていた。赤信号で立ち止まった時、寒さが厳しかったからだろう、高架橋が作る影を避け、日の当たっている場所を選んで進んで来ていたことに気が付いた。同時に、ほんの何か月か前には、同じ道の日陰を、わざわざ選んで歩いたことも、強烈な陽射しの印象とともに思い出された。
日の当たっている場所が、恋しくなったり、嫌になったり…。20℃ほどの気温の違いによって、好ましいこと、好ましくないことが、真逆になるのだなと、妙なところに心の眼が向いて、こんなつぶやきが、心の奥から聴こえてきた。「『おかげ』や『幸せ』と『難儀』や『不幸』の間には、月とスッポンほどの隔たりがある、真逆のことと思ってきた。だが、それは、本当なのだろうか…」と。
今年は特に、心の声にじっくり付き合う暇もなく、「いつまでにこれを終えておかねば…」「明日は会議に出て、帰ってからも手を動かして進めねば…」と、追い立てられて過ごした。そうしないことには、役目や責任が果たせなかったわけだが、「神様が『開け』と用意して下さっていた、神様に通じる道筋を見落とすような毎日を過ごしたのかも…」と、今になって悔いている。
それにしても今年は、喜ばしいこと、厳しいことのいろいろが、思ってもみないタイミングで、怒涛の如く寄せては引き、引いては寄せる、その連続であった。それでも、私だけでは到底凌ぎようもなかったところを、神様は勿論、金光様に、家族に、信者さんに、先生方に、友人に…、また、天地の中の数多の物にも助けられ、支えられて、師走の今があるのだなあと、しみじみ思う。こう思えるのも、信心あればこそ。神様のお働きを受けてのことに違いない。
これからの毎日、「ありがたい!」「勿体ないことだ!」と、心が震える体験を重ね、出会う事柄に、神様の応援、後押しを見出し、感じ取り、それを喜びながら生きていきたいと、切に願う。
令和8年が、いま始まろうとしている。
